向井潤吉 1970's-1980's 民家集大成
2017年12月16日(土)〜2018年3月18日(日)

《遅れる春の丘より》[長野県北安曇郡白馬村北城]1986
                       ※地名の表記は制作時の記録に基づきます。


――いつまでも珍重凍結しておきたい風景はむしろ心の底にある。
              
 空、雲のいろ、陽と曇りの度合いなど。

向井潤吉(1901-1995)は、10代半ばより関西美術院にて洋画を学び、戦前には単身渡欧して研鑽を積み、戦中の従軍経験を経て、戦後より一貫して全国各地の民家を描き続けた画家です。平成29年度は、その画業を3期にわけて取り上げ、最終回となる本展では、1970年代から1980年代の作品を中心に、その円熟味を増した創造の世界をご紹介します。

向井潤吉の民家を描き重ねる旅は、70代、そして80代と、齢を重ねても、たゆまず続けられました。現場にイーゼルを立て、民家と向き合う“現場主義”を向井は貫いたのです。
 向井は、かつて描いた場所を懐かしんで後年訪れるようなことをしなかったといいます。

「一期一会という言葉は、私にとって風景に対するとき、さまざまに痛感させられる。もう一度訪ねようと考えても、ぐっと歯を食いしばるようにして諦める場合が多い。いつまでも珍重凍結しておきたい風景はむしろ心の底にある。空、雲のいろ、陽と曇りの度合いなど。」
『米寿記念
向井潤吉展』朝日新聞社、1990(平成2)年

この言葉には、多くの人々が顧みなかった社会の側面を見つめ続けた一人の画家の、失われていった風景への深い感慨が込められています。

 戦後の高度経済成長、そして過疎、公害などの諸課題を抱えつつ、
1980年代にはバブル期の騒乱と崩壊を日本は経験しました。そうした過程で、人々の生活や思考、価値観は大きく変化し、すでに日本古来の草屋根の民家は過去の遺物となってしまいました。しかし、やがて大量生産、大量消費の時代への懐疑も生じはじめ、今日、向井が追い求めた草屋根の民家は、古民家という言葉に置き換えられながらも、新たな価値観を示す存在として光を得つつあります。

終戦から約40年間にわたり、日本列島の変遷を写しとった向井の作品を、叙情的で感傷的な表現として観るだけではなく、むしろそれぞれが描かれた時の出来事や社会状況と照らし合わせることが、向井潤吉の画業の内面に潜んでいる同時代性を探り出すことにつながるのだといえるのではないでしょうか。



◆展覧会チラシ(表面)はコチラです(PDF314KB)◆
◆展覧会チラシ(裏面)はコチラです(PDF526KB)◆

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年間スケジュール
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